塔の夢

やや長めの考察?です。

窓の人 財津和夫作品における通過儀礼第四回

https://youtu.be/wvuHhIGB_AI?si=2c6m-jIqvylSofjj

チューリップ財津和夫作品における通過儀礼 第四回

 

第一回は『青春の影

https://alabanda.hatenablog.com/entry/2023/11/09/141445

第二回は『Wake Up』

https://alabanda.hatenablog.com/entry/2023/12/31/230006

第三回は「戻れない・帰らない」と「魔法」

https://alabanda.hatenablog.com/entry/2024/02/29/212512

について書いてきた。

 

今回は、第四回。財津作品に頻出する「窓」について考えてみたい。

 

 

 

に降りそそぐこの雪のように 二人の愛は流れた」(『サボテンの花』)

窓辺から顔をつき出して 虹を探してた君を 覚えてる」(『虹とスニーカーの頃』)

 

サボテンの花』や『虹とスニーカーの頃』のような代表曲も含めて、財津作品では「窓」が頻繁に描かれてきた。『愛の窓辺』や『ふたりが眺めたの向こう』のように、曲やアルバムのタイトルに「窓」が登場することすらあり、「窓」や「窓辺」の情景への深い愛着が感じられる。

 

まず「窓」「窓辺」「カーテン」の登場する歌詞を振り返ってみよう。

 

「いつから雨が降ってきたのか をしめて明かりを消そう 雨が君を濡らさないように」(『雨が』)

「壁をぬりかえ カーテンをかえよう 昔のことはみんな忘れて」(『君のために生まれかわろう』)

「昼も夜も あなたの白いお部屋に 飛び込みたいのに はかたく閉じたまま」(『私は小鳥』)

「長い髪を風にとかせ 夕暮れにいつも 外を眺めてた 白い開き」(『愛のかたみ』)

にふりそそぐこの雪のように 二人の愛は流れた」(『サボテンの花』)

「汽車のをぬらす雨 君の街も雨だろう」(『悲しきレイン・トレイン』)

「降り続く雨の音 カーテン開けば 霞む街の灯よ 雨よみんなみんな流しておくれ 今までの 悲しみの日々」(『新しい夜だから』)

「君をいつも抱いて寝てた この部屋の窓辺は 今日も淋しさのかけらが ゆれるカーテンから こぼれている」(『ブルー・スカイ』)

「月明かりに 揺れてるように ごしに浮かぶツユクサよ 君を抱いて目覚めた窓辺にも ツユクサが青く揺れてた」(『恋人への手紙』)

を開けば 風はいつだって 静かに入ってくるけれど おまえはなぜ あのドアから 戻っては来ない 来ない 来ない」(『心の糸』)

のむこうに拡がる青い空のように 明るく生きると心に決めてたはずだったのに 部屋の床にこぼれた四角い陽射し その気怠さで私を殺して欲しい」(『青空』)

カーテンひとつ無い部屋に 似合わぬ パブミラーが 映していた 君のしぐさを」(『約束』)

「曇ったを手でこすれば 夜の隙間に落ちる雪 君が来るまで降り続けば 根雪となってゆくだろうか 待ちくたびれて 僕はいつか を開けて 君を待っている 冷たい雪だけど 二人のこれからの 愛を積み上げる 根雪になってほしい」(『根雪』)

「夜明け頃には ふるさとさ 窓辺に流れる 街のあかりよ 汽車のガラスに映る顔 まぬけで歪んだ 負け犬の顔 そうさいつもいつも 勝てなかったよ 東京には」(『Blue Train(もしも今でも君がひとりなら)』)

窓辺から顔をつき出して 虹を探していた 君を覚えてる」(『虹とスニーカーの頃』)

「昨日まであなたの心に一つのがあった いつも 優しくぼくをみつめてくれた 激しい雨の日も 強い風の日にも いつも窓辺で 二人は助け合った」(『愛の窓辺』)

「夢と現実の 端境期 引き裂くように カーテンを開ければ 眩しい 白い光」(『まだ闇の中』)

「いつか どこかに きっと 誰かが 君を待っている いまはただ じっと を閉めて 待つだけ 愛が君を連れて 旅立つまで」(『Someday Somewhere』)

「そんな君の部屋の窓辺にも もう誰かが住んでしまったよ」(『さよなら道化者』)

「キラキラの外 木漏れ陽が こんなにのどかな今日だから 別離(わかれ)は明日で いいじゃない」(『愛は戻れない』)

窓ガラス光らせる緑の電車」(『日曜の風景画』)

「さよならと電話 切った後で 君の涙が聞こえてきたよ 風がを揺らす 心が揺れる きっとまだ 君のこと 忘れられない」(『めぐり逢いは想い出』)

「どこにもあるような 部屋だけど こので おまえも 夕陽を みるんだね」(『ささやかな子守唄』)

「失くした愛が カーテン揺らし 君の窓辺で 振り返るから 迷子のように 立ちすくむのさ ぼくらのこの 新しい愛が」(『We can fly』)

に寄りそい 夜を覗いてる ガラスに映る 紅い唇」(『星をちりばめて』)

「愛をこじ開けて 君を抱いたとき をひらけば そこは寒い夜 部屋に舞い込んだ 雪の花」(『星空の伝言』)

「眩しさがにさして 暗い部屋をゆっくりひろげてゆくよ 鏡のなか見渡しても たったひとり空虚ろな男が居るだけ」(『セルリアン・ブルー』)

「まだ暗い の外 黒い木の枝に白い雪」(『ふたつめのクリスマス』)

「ロベリア 白い花 君がいつも 飾ってた 小さく風に揺れ ガラスをたたく」(『ロベリア』)

「ひとり残ったパーティー カーテン揺れる」(『涙のパーティー』)

カーテンを切り裂いて 床に落ちた朝の光 君が好きだよ」(『モーニング・スコール』)

「灯り消した シンガポール ホテルの 月が輝いた」(『2015年世界旅行』)

「ベッドがわりにソファでふたり求め合った 開けたままのにさわぐ レースのカーテン 白い炎さ」(『まっ赤な花と水平線』)

「君の足もと 映すショウウィンドウ 友達でいられない」(『逢う度に逢いたい』)

「素肌に着ていた ブルー・ヴェルヴェット 君のぬくもり の木漏れ陽がゆれる床に脱ぎ捨てられた」(『ブルー・ヴェルヴェット・イン・ブルー』)

「赤い花と 君の笑顔 映すをずっと みつめてた」(『誰が許すの 君のわがままを』)

「昨日まで 一人ので いつも灰色の海だけ見てた」(『ふたりだけのスクリーン』)

「赤く染まるビルの」(『永遠の日々』)

「1948年 海の見えるのある 平凡な家に生まれた 普通の男の子」(『12才』)

の外にきらめく波 都会の海が 二人に舟を近づけた」(『都会の月』)

「消えないんだあの夜が 開いたの下 裸で抱き合った」(『ホテル リゾナーレ』)

「どこを見てるの 気のないふりで カーテン閉めて薄灯りだけ こっち向いて ぼくの眼を見て 何もないの外より じっと見つめ合えば 近づく愛が見えてくるだろう」(『何も考えないで』)

「もう一人 君を映す 紅茶も 口にしないのかい 僕たちはいつだって この店で 移りゆく季節を眺めたね」(『別れという愛』)

「どこかに行こうよ できれば遠くへ ふたつの座席で ひとつの見て」(『ふたりのステージ』)

「白い胸がこぼれていた あののカーテンにくるまったくちづけ 会いたい 会いたい」(『愛してる』)

「バス停の混雑で さよならが 聞こえない 薔薇の花 わたせずに 誕生日 別れの日 窓側に立つ君は 僕の目を ずっと見つめてた 川沿いに走るバス 電車から いつも見た 夕焼けに 反射した 君が乗る バスの」(『急行の停まる街』)

「眠った君の あどけなさに の明かりがゆれるよ もう一度ここで 抱きしめたい 今夜は君の心を」(僕の気持ち、君の気持ち)

「街のすみずみにまで 金が鳴り響けば 僕は部屋のから 君の名前くり返すよ あの日のまま」(『時が経てば』)

無人のバスに 乗り込んで の外を ただみてるだけ」(『ちょうど』)

「ひとつのに より添いながら 同じ青空 みつめてきたね ただそれだけで 不思議なものさ 幸せの風 吹いてくるから」(『ひまわりの家』)

「部屋のから 月が見えるよ これからの秘め事を みつめてる みつめてる」(『PRIVATE MOON』)

「飾りのは じっと二人をみつめる 裸のボクは 微笑み よこたわる 飾りのが あるだけのすみか」(『バラ色のドア』)

「眠れない夜は を開いて 忍び込む風が 君を包むよ 僕の腕の代わりに」(『ふたりなら』)

の光が映すシルエット 声も知らない美しい人」(『あなたをみている』)

「流れて辿りついた 小さなにも 見えるよ 鮮やかなあの日の虹が」(『あの日見た虹』)

「最終電車の中ではしゃぐカップル 楽しげな声 いつもふたり並んでた シートにひとりを映している  ガラスの 君にとっても逢いたい」(『君でなければ』)

「君を探しにゆくだろう 部屋の窓辺に舞い降りて 僕の翼が君を抱くだろう」(『run』)

「冬は奥のテーブルで 熱い赤のワイン から雪を見つけたら あ・と・は 夢」(『Tea -House』)

「朝になったら カーテンを開けて 夜になったら カーテンを閉めて ソファーの隣は 君が座ってる そして僕らは手をつなぐ」(『たった一日で君との永遠が見えたんだ』)

『ふたりが眺めたの向こう』

「ぼくはただ座っているよ 越しに空を見ている」(『愛の力』)

「このに 腰かけて いつだって 眺めてた 笑顔の君を ボクらのことを でも もう何も見えない ほんの少しでも 君を知りたくて 見つめていたよ いつまでもずっと 消えた後を ずっと見ていた 線路だけの 青空だった 君は知らない ボクのを 永遠は遠すぎた ふたりには この道は だからもう何も 見えない」(『風のみえる部屋』)

の中のふたり』

「そして見てごらん から 希望の雲が流れてゆくよ 明日の空へ」(『明日からのメッセージ』)

「雨が落ちてきたよ 庭がうれしそう から眺めよう お茶飲みながら」(『世界一好き』)

「いつも いつも 君が来るたび に雲が流れてく」(『想い出に話しかけてみた』)

 

これほど「窓」を歌詞に登場させた人も珍しいのではないか。財津作品とは「窓辺」の世界であり、「窓辺」に吸い寄せられる人々が「窓」をめぐって演じる愛の物語だとすら言えるかもしれない。

 

  • 愛しあう場所としての「窓辺」

 

財津作品における「窓辺」とは、何よりもまず抱き合い、愛しあう場所である。

 

「君をいつも抱いて寝てた この部屋の窓辺は」(『ブルー・スカイ』)

「君を抱いて目覚めた窓辺にも ツユクサが青く揺れてた」(『恋人への手紙』)

に寄りそい 夜を覗いてる ガラスに映る 紅い唇」(『星をちりばめて』)

「愛をこじ開けて 君を抱いたとき 窓をひらけば そこは寒い夜」(『星空の伝言』)

「ベッドがわりにソファでふたり求め合った 開けたままのにさわぐ レースのカーテン 白い炎さ」(『まっ赤な花と水平線』)

「素肌に着ていた ブルー・ヴェルヴェット 君のぬくもり の木漏れ陽がゆれる床に脱ぎ捨てられた」(『ブルー・ヴェルヴェット・イン・ブルー』)

「消えないんだあの夜が 開いたの下 裸で抱き合った」(『ホテル リゾナーレ』)

「どこを見てるの 気のないふりで カーテン閉めて薄灯りだけ こっち向いて ぼくの眼を見て 何もないの外より じっと見つめ合えば 近づく愛が見えてくるだろう」(『何も考えないで』)

「白い胸がこぼれていた あののカーテンにくるまったくちづけ 会いたい 会いたい」(『愛してる』)

「眠った君の あどけなさに の明かりがゆれるよ もう一度ここで 抱きしめたい 今夜は君の心を」(僕の気持ち、君の気持ち)

「部屋のから 月が見えるよ これからの秘め事を みつめてる みつめてる」(『PRIVATE MOON』)

「飾りのは じっと二人をみつめる 裸のボクは 微笑み よこたわる 飾りのが あるだけのすみか」(『バラ色のドア』)

 

ひとつの「窓辺」を家の内側から共有することが、財津世界における一つの愛のあり様である。それには「窓辺」で「抱き合う」以外にも、「窓」の中から「窓外」の風景を二人で眺めるという形がある。

 

「どこかに行こうよ できれば遠くへ ふたつの座席で ひとつの見て」(『ふたりのステージ』)

『ふたりが眺めたの向こう』

「雨が落ちてきたよ 庭がうれしそう から眺めよう お茶飲みながら」(『世界一好き』)

 

この愛は男女に限らず、親子、家族の関係性にも見られる。

 

「どこにもあるような 部屋だけど こので おまえも 夕陽を みるんだね」(『ささやかな子守唄』)

「ひとつのに より添いながら 同じ青空 みつめてきたね ただそれだけで 不思議なものさ 幸せの風 吹いてくるから」(『ひまわりの家』)

 

  • 内部と外部の断絶を際立たせる「窓」

 

しかし、「窓」の内側で愛しあう人々に別れが訪れると、「窓」は二人の間の断絶を際立たせる残酷な装置に変貌する。それを最も鮮烈に表現しているのは、言うまでもなく『サボテンの花』である。

 

にふりそそぐこの雪のように 二人の愛は流れた」(『サボテンの花』)

 

部屋を飛び出した彼女は、いわば「部屋/窓」の外部的な存在になる。閉じた「窓」は外部と内部を分断し、ふたりの間の断絶を鮮烈に表現している。

 

サボテンの花』と同じ「窓」や「雪」を用いて、幸福な状態を描いた『根雪』という作品をみると、その違いは鮮明になる。

 

「曇ったを手でこすれば 夜の隙間に落ちる雪 君が来るまで降り続けば 根雪となってゆくだろうか 待ちくたびれて 僕はいつか を開けて 君を待っている 冷たい雪だけど 二人のこれからの 愛を積み上げる 根雪になってほしい」(『根雪』)

 

サボテンの花』では女性が部屋から出てゆく、窓は閉じている、雪が流れる。

『根雪』では女性が部屋に来る、窓は開かれる、雪が積み上がる。

 

部屋から出る/部屋に来る、窓の閉じている/開いている、雪が流れる/積み上げるが、愛の終り/愛の深まりと対応していることがわかる。

 

「窓」が開いていることは、心が外部に対して開かれていることを意味し、「窓」が閉じていることは、外部に対して心を閉ざすことを意味する。

 

二人が「窓」の内側にいた場合、「窓」を閉めることは外部から保護された二人だけの空間をつくることであった。

 

「いつから雨が降ってきたのか をしめて明かりを消そう 雨が君を濡らさないように」(『雨が』)

 

しかし、別れが訪れ男女が内部と外界に分かれると、『サボテンの花』のように「窓」が閉じられていることが断絶を際立たせる機能を持つ。また「窓」を閉めていることは他者に心を閉ざしている事を象徴している。

 

サボテンの花』と同じアルバム『無限軌道』に収録されている『私は小鳥』では

 

「昼も夜も あなたの白いお部屋に 飛び込みたいのに はかたく閉じたまま」

「あなたは忘れてしまっているの 花ともお話ができることを 涙を流せることを」(『私は小鳥』)

 

と、「窓」の閉鎖と、世界に対する開かれた感性の喪失を歌っている。しかし、

 

「いつか いつか あなたも愛する人を みつけて 幸せ つかんでゆくことでしょう」(『私は小鳥』)

 

と、未来への希望が歌われる。『Someday somewhere』の

 

「いつか どこかに きっと 誰かが 君を待っている いまはただ じっと を閉めて 待つだけ 愛が君を連れて 旅立つまで」(『Someday Somewhere』)

 

も、同じような状況を歌っていると思われる。今現在、窓は閉められているが、やがてそこから旅立つ日が来る...

 

また、開閉についての言及はないが、「窓」の存在が他者とのつながりを象徴しているのは、『愛の窓辺』である。

 

「昨日まであなたの心に一つのがあった いつも 優しくぼくをみつめてくれた 激しい雨の日も 強い風の日にも いつも窓辺で 二人は助け合った」(『愛の窓辺』)

 

「昨日まであなたの心に一つの窓があった」しかし、今の「あなた」の心に「窓」はない。「窓」が閉ざされるどころか存在すらしなくなり、あなたへと通じる手段はなくなってしまった。「窓」の不在が、愛の終わりを際立たせている。

 

「窓」によって隔てられた別れや追憶が最も美しく描かれているのは『急行が停まる街』であろうか。

 

「バス停の混雑で さよならが 聞こえない 薔薇の花 わたせずに 誕生日 別れの日 窓側に立つ君は 僕の目を ずっと見つめてた 川沿いに走るバス 電車から いつも見た 夕焼けに 反射した 君が乗る バスの」(『急行の停まる街』)

 

 

窓辺で愛しあった男女に訪れた別れ。『虹とスニーカーの頃』でも、かつての恋人の姿は「窓辺」と分かち難く結びついている。

 

窓辺から顔をつき出して 虹を探してた君を 覚えてる」(『虹とスニーカーの頃』)

 

「窓辺」から、顔をつき出していると言うことは、彼女は部屋の内部と外部、両方に属しており、完全に内側にいない。「窓辺」を部屋の内部から共有することが、財津作品の愛のあり様であったことを考えると、半ば外部に属している彼女は、その後の別れを予告していると言えるかもしれない。

 

  • 「窓辺」に吹く風

 

失われた愛は、「窓」と「風」の組み合わせとして表現される事が多い。「風」は、「窓/部屋」の外へと出て行った女性の存在を思い出させる。

 

「長い髪をにとかせ 夕暮れにいつも 外を眺めてた 白い開き窓 今日もさそわれて そっと開けてみた 過ぎた日を ほんの少しだけ運ぶよ」(『愛のかたみ』)

「君をいつも抱いて寝てた この部屋の窓辺は 今日も淋しさのかけらが ゆれるカーテンから こぼれている」(『ブルー・スカイ』)

を開けば はいつだって 静かに入ってくるけれど おまえはなぜ あのドアから 戻っては来ない 来ない 来ない」(『心の糸』)

「さよならと電話 切った後で 君の涙が聞こえてきたよ を揺らす 心が揺れる きっとまだ 君のこと 忘れられない」(『めぐり逢いは想い出』)

「失くした愛が カーテン揺らし 君の窓辺で 振り返るから」(『We can fly』)

「ロベリア 白い花 君がいつも 飾ってた 小さくに揺れ ガラスのをたたく」(『ロベリア』)

 

「窓辺」に吹く風は、過去と結びついて登場する。第一回の『青春の影』について書いた章でも触れたように、財津作品における風の役割は多岐にわたるが、最も重要なものとして時間との関連が挙げられる。「窓」に吹く風は、過ぎ去った時を想起させ、今現在の彼女の不在を実感させる。

 

この過去の空気が入り込むかのような「窓」と近い存在が『ふたりがつくった風景』の「絵」である。

 

「君が愛した 壁にかかるマチスを はずせば 浮かぶよ 四角い白い跡 そこにはふたりの日々が まだある ふたりだけの空気が まだ流れてる」(『ふたりがつくった風景』)

 

「絵」が「窓」と似た役割を担っていることがわかる。たとえば『愛のかたみ』を聴いてみると

 

「長い髪を風にとかせ 夕暮れにいつも 外を眺めてた 白い開き 今日もさそわれて そっと開けてみた 過ぎた日を ほんの少しだけ運ぶよ」(『愛のかたみ』)

 

と、歌われている。「窓」に吹く風が、過去の空気を呼び覚ます役割を担っていることがわかる。『ふたりがつくった風景』でも「マチスの絵」を外すと、彼女と過ごした過去の空気が流れている。いずれも「四角い枠」が、開けられたり外されたりすると、過去の空気を呼び覚ますと言う点で共通しているのである。

 

ここで「窓」と類縁関係にあるものについて触れたい。

 

 

「窓」と類似するものとして、「ドア」「鏡」そして「絵」が上げられる。「窓」は、何かが出たり入ったりするものとしては「ドア」に、窓ガラスに写るものを見れば「鏡」に、四角い枠(額縁)の中にある情景を眺めるものとしては「絵」に似ているのである。

 

 

を開けば 風はいつだって 静かに入ってくるけれど おまえはなぜ あのドアから 戻っては来ない 来ない 来ない」(『心の糸』)

「迷ったときには あの日見た虹 目を閉じ待つのさ を開いていて 流れて辿りついた 小さなにも 見えるよ 鮮やかなあの日の虹が」(『あの日見た虹』)

 

「窓」と「ドア」が平行して用いられている。

 

 

「鏡」としての「窓」には、自己を省みるものとしての「窓」と、女性をうつすどこか官能的な「窓」がある。

 

自己を省みるものとしての「窓」は、たとえば

 

「汽車のガラスに映る顔 まぬけで歪んだ 負け犬の顔 そうさいつもいつも 勝てなかったよ 東京には」(『Blue Train』)

 

があげられる。また、「窓」「鏡」として用いているわけではないが、

 

「眩しさがにさして 暗い部屋をゆっくりひろげてゆくよ のなか見渡しても たったひとり空虚ろな男が居るだけ」(『セルリアン・ブルー』)

 

なども、「窓」「鏡」、「自己をかえりみる」と言う点で類似の関係にあるといえるかもしれない。

 

女性をうつすどこか官能的な「窓」としては以下のものがあげられる。

 

に寄りそい 夜を覗いてる ガラスに映る 紅い唇」(『星をちりばめて』)

「赤い花と 君の笑顔 映すをずっと みつめてた」(『誰が許すの 君のわがままを』)

「もう一人 君を映す 紅茶も 口にしないのかい 僕たちはいつだって この店で 移りゆく季節を眺めたね」(『別れという愛』)

 

3つとも「紅い唇」「赤い花」「紅茶」と、紅/赤が登場している。

 

また、「窓」「鏡」として用いてはいないが、「窓辺(カーテン)」についての言及と、「鏡」にうつる女性の姿が描かれていると言う点で、『約束』も印象深い。

 

カーテンひとつ無い部屋に 似合わぬ パブミラーが 映していた 君のしぐさを」(『約束』)

 

 

財津作品には、少なからず「絵」に対する言及がある。『一枚の絵』『日曜の風景画』など、タイトルに「絵」が登場するものもあれば、具体的な画家名が登場することもある。

 

「君が愛した 壁にかかるマチスを はずせば 浮かぶよ 四角い白い跡」(『ふたりがつくった風景』)

ルソーが描いた絵のような さあ夢の中へ 僕の夢の中へ 裸のまま抱き合う 白い月の下」(『コスモスの咲く郷』)

 

『ふたりがつくった風景』については前に述べたので、『コスモスの咲く郷』に注目したい。「ルソーが描いた絵のような」と歌われたあとに「抱き合う」「月の下」というキーワードが登場する。

 

抱き合い愛しあう場所としての「窓辺」については前述したが、「月」も「窓」との関係で何度か歌われている。

 

月明かりに 揺れてるように ごしに浮かぶツユクサよ 君を抱いて目覚めた窓辺にも ツユクサが青く揺れてた」(『恋人への手紙』)

に寄りそい 夜を覗いてる ガラスに映る 紅い唇  やがて そっと 月明かり忍び込む そして ふたり 愛の海 泳ぐのさ」(『星をちりばめて』)

「灯り消した シンガポール ホテルの が輝いた」(『2015年世界旅行』)

の外にきらめく波 都会の海が 二人に舟を近づけた」(『都会の』)

「白い胸がこぼれていた あののカーテンに くるまったくちづけ 白いホテル が光る また逢えるとうなずいて 僕を映す瞳 会いたい 会いたい」(『「愛してる」』)

「部屋のから が見えるよ これからの秘め事を みつめてる みつめてる」(『PRIVATE MOON』)

 

『コスモスの咲く郷』における「絵」「抱き合う」「月」は、「窓辺」「抱き合う」「月」と言う財津作品の愛のあり様のヴァリエーションであり、「絵」と「窓」の類縁関係を感じさせる。

 

さて、これほどまでに多くの役割を担っている「窓」であるが、「窓」がある場所は、二つに分類される。「部屋系(家やホテル)」と「電車系(電車、汽車、バス)」」である。

 

  • 部屋と電車

 

財津作品の最も重要な舞台は「部屋/家」と「汽車/電車」であろう。『心の旅』にしても、「部屋」と言う言葉は登場しないものの明らかに、今居る「部屋」と明日の今頃居る「汽車」とが、ふたつの主要な舞台として存在している。「部屋」と「汽車(電車)」、この二つに共通するものこそ「窓」にほかならない。汽車やバスにおける「窓」をたどってみると...

 

汽車をぬらす雨 君の街も雨だろう」(『悲しきレイン・トレイン』)

汽車ガラスに映る顔 まぬけで歪んだ 負け犬の顔 そうさいつもいつも 勝てなかったよ 東京には」(『Blue Train』)

ガラス光らせる緑の電車」(『日曜の風景画』)

バス停の混雑で さよならが 聞こえない 薔薇の花 わたせずに 誕生日 別れの日 窓側に立つ君は 僕の目を ずっと見つめてた 川沿いに走るバス 電車から いつも見た 夕焼けに 反射した 君が乗る バス」(『急行の停まる街』)

無人バスに 乗り込んで の外を ただみてるだけ こんなに多くの 人がいるのに こんなにどうして 孤独があるの」(『ちょうど』)

終電車の中ではしゃぐカップル 楽しげな声 いつもふたり並んでた シートにひとりを映している  ガラスの 君にとっても逢いたい」(『君でなければ』)

 

部屋の内側にいた時は、男女が愛しあう場所として描かれていた「窓辺」だが、電車やバスの「窓辺」では孤独感が強調されている。

 

 

「窓」をめぐって愛しあい、別れ、回想し、自らを省み、未来を夢みる。人生の中に訪れる転機は、財津作品において「窓」をめぐる形で幾度も描かれており、その点で財津作品における通過儀礼的なテーマを最もよく表しているのが「窓」の存在かもしれない。

 

このブログの第一回で触れた内部/外部構成、第二回で触れた「家」から出る/「汽車」に乗る、第三回で書いた境界線、これら全てを総合するものとして「窓」がある。

 

以上、財津作品における「窓」について考えてきた。最後に、レコード・ジャケットの「窓」を見てみよう。